最近、「コミュニティを作りたい」という言葉をよく耳にします。
けれど、その言葉にはどこか違和感があります。
コミュニティとは、本来“作るもの”ではなく、
自然と“生まれるもの”ではないでしょうか。
「人とつながりたい」「場をつくりたい」という気持ちは、
一見とても前向きで、あたたかく聞こえます。
しかし、その奥にはしばしば、
寂しさや不安、そして承認されたいという思いが隠れています。
「誰かと関わっていなければいけない」という焦りが、
人を“つなぐ”という行動に駆り立ててしまうのかもしれません。
けれど、本当に信頼できる関係は、
計画や仕組みの中から生まれるものではありません。
小さな時間の共有や、沈黙の中の理解、
そして互いを尊重する余白の中で、ゆっくりと育っていくものです。
それは「作る」という意図よりも、
「気づけば、そこにあった」という自然な流れの中で育まれていきます。
多くの“場づくり”や“つながりの活動”は、
熱意と善意から始まります。
けれど、目的や仕組みを優先しすぎると、
人の心が置き去りになってしまうこともあります。
「集める」ことに意識が向いた瞬間に、
関係のあたたかさは失われていくものです。
コミュニティが本当に意味を持つのは、
そこに“信頼”と“自然さ”があるときです。
理念や言葉ではなく、
誰かが誰かを気にかける小さな行動や、
日常の中のさりげない優しさが、
いつのまにか関係を形づくっていきます。
だから、コミュニティは作ろうとするものではありません。
それは、人と人との間に静かに生まれるものです。
努力や戦略の結果ではなく、
誠実さや共感の積み重ねによって、
自然とそこに存在するようになるのです。
“つながり”を求めること自体は悪くありません。
けれど、その根っこにあるのが不安や孤独であるなら、
まずはその感情と向き合うことが大切です。
他者で満たすより、自分の中の静けさを受け入れること。
その静けさが、結果として他者への優しさに変わります。
コミュニティは、作る努力の先にあるものではなく、
心が通い合う日々の中から、
いつの間にか生まれてくるものです。
作らなくても、育つもの。
それが本当の“つながり”なのだと思います。

