🌿コミュニティは作るな

最近、「コミュニティを作りたい」という言葉をよく耳にします。

けれど、その言葉にはどこか違和感があります。

コミュニティとは、本来“作るもの”ではなく、

自然と“生まれるもの”ではないでしょうか。

「人とつながりたい」「場をつくりたい」という気持ちは、

一見とても前向きで、あたたかく聞こえます。

しかし、その奥にはしばしば、

寂しさや不安、そして承認されたいという思いが隠れています。

「誰かと関わっていなければいけない」という焦りが、

人を“つなぐ”という行動に駆り立ててしまうのかもしれません。

けれど、本当に信頼できる関係は、

計画や仕組みの中から生まれるものではありません。

小さな時間の共有や、沈黙の中の理解、

そして互いを尊重する余白の中で、ゆっくりと育っていくものです。

それは「作る」という意図よりも、

「気づけば、そこにあった」という自然な流れの中で育まれていきます。

多くの“場づくり”や“つながりの活動”は、

熱意と善意から始まります。

けれど、目的や仕組みを優先しすぎると、

人の心が置き去りになってしまうこともあります。

「集める」ことに意識が向いた瞬間に、

関係のあたたかさは失われていくものです。

コミュニティが本当に意味を持つのは、

そこに“信頼”と“自然さ”があるときです。

理念や言葉ではなく、

誰かが誰かを気にかける小さな行動や、

日常の中のさりげない優しさが、

いつのまにか関係を形づくっていきます。

だから、コミュニティは作ろうとするものではありません。

それは、人と人との間に静かに生まれるものです。

努力や戦略の結果ではなく、

誠実さや共感の積み重ねによって、

自然とそこに存在するようになるのです。

“つながり”を求めること自体は悪くありません。

けれど、その根っこにあるのが不安や孤独であるなら、

まずはその感情と向き合うことが大切です。

他者で満たすより、自分の中の静けさを受け入れること。

その静けさが、結果として他者への優しさに変わります。

コミュニティは、作る努力の先にあるものではなく、

心が通い合う日々の中から、

いつの間にか生まれてくるものです。

作らなくても、育つもの。

それが本当の“つながり”なのだと思います。